うつと断薬の記録

うつと断薬、時々、APD/NPD被害者としての記録。

断薬当初の離脱症状

先月のPMSに押し潰されそうになり、文字を綴る気力もありませんでした…
季節的なものも相まって、寒くなる時期は心まで固まってしまうみたいであまり好きではないかな…(´ω`)

さて、断薬した翌日から1ヶ月ぐらいの離脱症状ですが、とりあえず箇条書きにしてみます。

・口の中の不快感
断薬翌日の午後から、どこかを齧りたくなるような口の中の違和感。歯茎と口中がムズムズする。
歯磨きとマウスウォッシュと炭酸飲料でやり過ごしました。
数日後、舌先にぽつんと出来物ができていて、口内炎もできていました。

耳鳴りと手足の痺れの総称ですね。
翌日から会話の邪魔になるほどうるさい耳鳴りと手足の痺れが。
顔を固定したまま目玉を左右や上下に動かすと耳鳴りが酷くなるので、どこかを見る時はなるべく顔ごと向いてました。

・短睡眠/悪夢
断薬したその日は眠れました。翌日全く眠れなくなって、48時間経過後に3時間ほど寝たのですが、「こんなんだったら寝ない方がまだマシ」というぐらいの悪夢。
そのまた24時間後に2時間半の睡眠。
その後、約20~48時間ごとに1時間半から3時間ぐらいの睡眠(寝ると半分程の割合で悪夢)の日々が続きました。

・文章を認識できない
断薬二日目の夜、元旦那が夜勤で居なかったのでLINEで会話をしていたのですが、送られてくる文章を見ていると気持ち悪くて読むことも認識することもできなくなってしまい、自分は

  ね
  む
  れ
  な
  い

みたいな感じで一文字ずつ打って送る、ということをしていました。  

・健忘
うちは猫を3匹飼っているのですが、その猫を見て『あれは、猫、…猫って何…?』となったり、『あれは、テレビ…?テレビって…?』みたいな感じになりました。
身近なものが何だか分からないというのは2日ほどで治ったのですが、そのあとは自分の家の住所や携帯番号を忘れました。他にも忘れたものがあるかも知れませんが、覚え直したのか思い出したのかは記憶にありません。

健忘とは少し違うのかもしれませんが、3日目が明けた日、『自分の話し声を自分で聞いて母だと思う』『家に居る猫を昔実家で飼ってた猫と思い込む』『トイレに入ると実家のトイレだと勘違いする』という症状がありました。これは2~3日で治りました。

・思考力と運動能力の低下
1週間のうち5日は買い物に行っていた徒歩3分のコンビニへ行き、買うものを探して支払いを済ませ、家に帰るまでに40分以上かかりました。

・酷い頭痛
頭が激しく重いとか割れそうとかそんな頭痛。身体の痛みと一緒にすーっと抜ける時はあるのですが、身体がだるくなってくるとまた頭痛。鎮痛剤すら飲みたくなかったので耐えてました。

・発汗
とにかく汗がめちゃくちゃ出る。ちょっと動くと汗だくになったり、寝て起きただけでパジャマがびっしょりになるほどの寝汗。
1日に3回は着替えて常に洗濯機を回してました。

・身体の痛み/痒み/そわそわ
痛み→どこが痛いというのではなく、身体のありとあらゆるところが痛い。
痒み→冷えているところが痒くて仕方ないので、1日に2、3回お風呂を溜めて入って温まってました。
そわそわ→そわそわとムズムズの間のような感覚の方が多く、手足が特に気になったので、ベッドに座ってずっと手と手、足と足を拍手するように動かしていました。

・体の自由がきかない
ある程度の日常作業をすると、突然脳がシャットダウンする感覚に陥り、完全に動けなくなってました。
ご飯を食べてる最中に動けなくなりベットに突っ伏し、食べかけのものをひと皿にまとめてもらって、可動範囲3cmぐらいのスプーンに顔を近付けて食べる。
「断薬で寝たきりになった人はいないから大丈夫だよ」と元旦那に言われたのですが、最悪寝たきりを覚悟しました。

・ミオクローヌス
筋肉の不随意運動をミオクローヌスと言うらしいです。
ベッドに横になると手足やお腹や背中が大きくビクッビクッと動いていました。対処法もなかったので、横で一緒に寝てる猫を見ながら『この子と同じだ…』なんて思ってました。

・一日の長さの感覚の狂い
とにかく一日が長く感じられてました。

・ピアスと刃物への恐怖
元旦那と同棲し始めてMAX25個耳にあいてたピアスですが、断薬2、3日後、眠れずにぼーっとしていたら突然『体に穴が開いている』という感覚が恐ろしくなり、着けていたピアスを全て外してゴミ箱に突っ込みました。
あとは、料理を作ろうと包丁を見た途端に怖くなって、タオルに包んで台所の奥の方に隠しました。
包丁への恐怖はたしか一週間ぐらいで治まり、ピアスは半年ほど着けることはなかったです。

・五感が研ぎ澄まされている感じ
特に聴覚と視覚は辛かったです。
断薬1ヶ月経つ前あたりに私の両親が来るタイミングがあり、外食したのですが、お店の明るさと店内の喧騒が目と耳を通してダイレクトに伝わってくる感じで、食事どころではなかったです。
味覚は、それまで味の濃いものを好んで食べていたのですが、この時期コンビニの弁当や惣菜などは一切食べられなくなりました。

・脳の音?脳の感覚?
外食で光と喧騒の中でご飯を食べ終わって店の外に出ると、脳がパチンパチンいってる感じがしました。
またPMS時期に何かを考えすぎると、脳がキュルキュルいってる感じがしました。

・映画になる景色
元旦那に連れられて近所に買い物や散歩に行くと、自分の見ている景色が映画のフィルムのようになっていました。
フィルムを『カシャッ カシャッ』と一コマずつ送っていく感じ、と言えばなんとなく分かりますでしょうか…?

離人
自分の体なのに自分の体ではないような感覚。
自分の周りに自分と同じ形のバリアがある感覚。
言葉で説明するのはなかなか難しいのがこの離人感だと思います。(元旦那が離脱症状一覧を確認した時「emmyaは自分をしっかりもってるから離人症にはならないよ!」と言ってたのですがそういう事ではない)
これで1番苦労したのが、当時生後1ヶ月ちょつとだった末娘(猫)のミルクをあげて排泄をさせるという行為でした。
自分であって自分ではない感覚なので、断薬前までどうやってお世話していたかを思い出すのにだいぶ苦労しました。

低血糖?低血圧?
昼過ぎ、台所を片付けていたら急に手足が痺れ体の力が抜けて台所の床に横たわる形になりました。
元々血圧は低いのですが、ここまで動けなくなることは今までなかったので恐らく低血糖だと思い、休みで家に居た元旦那にオニギリを作ってもらい食べ、事なきを得ました。

・恐怖
何か事件や事故があったわけではないのですが、家の中は安全、外は怖い、という気持ちをずっと持っていました。
体が少し動くようになり、外に出られるようになっても1人での外出は難しく、用事があって外に出るときは常に元旦那の腕を掴んでました。
ある日元旦那が忘れ物をして外まで持って行くことになり、住人の誰かが階段を上がる音やが怖くて怖くてすれ違うことすらできず、届けられずに部屋に戻ってしまうほど。郵便屋さんにすらビクビクしてました。

・歌詞のある音楽がダメ
音楽が好きでライブハウスが好きで、ライブに行くことが大好きな私。
しばらく体は言うことを聞いてくれないだろうからせめて家で曲を聴いたりライブDVDをみたりしようと思っていました。
しかし、どんなに好きなアーティストのものでも歌が聴こえてきた瞬間、脳が気持ち悪くなってしまうのです。
今まで疑問ももたずに薬で動かされてきた脳から突然薬が無くなるんだから、脳だってパニックも起こすよね、という事だと思います。


ここまで覚えている範囲での当初の状態というか離脱症状を上げ連ねてみましたが(覚えてないものはないのか、酷い離脱症状の陰にかくれてしまってしまっていたのかは定かではありませんが)、ここに記したものは【うつ】の元疾患でも【PMS】の元疾患でもなく、先にも書きましたが、約6年半薬で動かされていた脳の完全なる誤作動だと私は思います。
そして、断薬25ヶ月を越えた今、ここに記した離脱症状で残っているものというのは、かなり改善されてきていますが確かにまだあります。それは心療内科で診断されたPMSやうつの症状ではなく、精神薬の離脱症状だと思います。記憶力が悪いので以前のことはなんとなくしか覚えていませんが、現時点で出ている症状は薬を飲む前には出ていませんでした。


ちなみに私の最初の元疾患であるPMSは全く治っていません。多分うつも完全には治ってはいないと思います。

薬と生きる道を選んだ方が良かったのか、減薬からはじめていれば離脱症状ももう少しマシになって元疾患も治ったのか、それは今となってはどうにもならない事ですが、こうやって書き連ねていくとやはりそんな考えても仕方のないことを考えてしまいます。

断薬に至った経緯と断薬に対して思うこと

私が断薬したきっかけですが、前の記事にも書いたように「転院して良くなるどころか悪くなってる気がする」という元旦那の言葉と、当時ストレスが溜まる度にピアッサーで開けていた耳のピアスを見た担当医の「できればピアスは全部で3つくらいまでにできればいいですね。あまりピアス開けると運命変わっちゃうし。」という言葉でした。

転院して「2週間で治ります。長くても2ヶ月。」と断言したにも関わらず1年の間に何度も処方を変えられ減薬すらされなかったことや、周囲から見て明らかに太ったのに実際にどれだけ増えたか言うまで気付いてもらえなかったこと(月一回の通院だったので見れば分かる)、また、転院する前まではPMS期にほんのりとしかなかった希死念慮PMS期以外にも強くなったり(前記事にも書きましたが二階から飛び降りました)、常に鬱々とした気分を抱えていたりイライラしたり焦燥感に駆られたりといった様々な不調も処方を変えることでやり過ごされたりして不信感を募させていた私には、その言葉はかなり決定的なものでした。
医者なのにそんなスピリチュアルな事を…???と、ほんの少し残っていた信頼感までも全くなくなったのです。

断薬すると決心してすぐ、私はネットで『断薬 離脱症状』というワードで検索をしました。
すると、ヒットした資料には気が遠くなるほどの離脱症状の数々が。
薬が切り替わる時の離脱症状は経験していたのですが、実際自分が体験したことの無いものが沢山書かれていて少し怖くなり、それ以上調べる事は出来なくなりました。
しかし、このまま一生飲み続けたくはないし(飲み続けても常用離脱があるということはだいぶ後になって知りました)、とにかく薬をやめたい、もう飲みたくない、薬には頼らないと決めていたし、元旦那も全力でサポートすると言ってくれていたので、離脱症状やそれを緩和するような資料のURLを元旦那と離れて暮らす両親に送り、サポートしてもらう事にしました。
こういったいきさつもあり、減薬ではなく一気断薬に至りました。
お薬手帳も残っている薬も全て断薬当日に捨ててしまったので正確には覚えていないのですが、最終的に飲んでいたのは頓服を合わせて6~8種類ほどを各1~3錠くらいだったと思います。
(転院前の調剤明細書を確認したら6種類だったので多分そのくらい。)

それから断薬してからしばらくはネットで減薬・断薬関係のブログや文献を検索する事が出来ませんでした。
飲んでいた薬を絶ったことによってどういった症状が襲ってくるのかというのを再度確認するのが怖かったからです。逆に、そこで確認しなかったから耐えられた、ということもあると思います。
どれだけ酷い症状があらわれても、薬が抜けていけば必ずおさまる、という気持ちでただひたすら耐えていた記憶があります。

どんな離脱症状があったかは次回記事にします。
記録をほとんど残していないので思い出しながらになりますが…。
(ここ一年半ほどの記憶がかなり曖昧なのと、断薬してから半年くらいは今思い出すと夢の中の出来事のような感覚なので、思うように綴れないかもしれませんが…)



ここまで書いてきて少し心配だなと思った事があったので補足しておきますが、『薬は悪だ』といっているわけでも『薬で治る』ということを否定しているわけではなく、『元疾患がまだ治っていないなら、私は薬を飲まないという方向で治していこう』ということであって、生きていく上で飲みたくないと思っていてもそれでも薬を必要としなければいけない方がいらっしゃる、という事は私の友人知人にもおりますので理解しています。

減薬や断薬をしたいと思っても、信頼できる医師の指導の元であれば、服用期間や量などの個人差はあるでしょうが、私が経験した(今現在も経験している)までの酷い離脱症状に苦しむ事も少ないのではないかと思います。
勝手に断薬、しかも一気に断薬ですと、1ヶ月くらいは酷ければ寝たきりになってしまうような状態なので、常に一緒に居てくれて生活の面倒をみてくれるような周りのサポートがない限りはかなり難しいのではないかと思います。
離脱症状をどうにか軽くしたくて断薬専門医も探しましたが、料金がかなりの高額だったため諦めました。


私自身の思いとしては、減薬や断薬を勧めるわけではなく、どうにかしたい と思った時に助言ができれば、という気持ちが根底にあります。

服薬開始から現在までの大まかな流れ

2007年10月
転職してそれまでの立ち仕事から完全事務職になる。

2008年
PMSの悪化で心療内科に駆け込み頓服でソラナックスを処方してもらう。(ここから2011年までずっと)

2011年6月
それまでの営業所と隣県の営業所が統合になるため隣県へ引越し&転勤。
7月頃から体調や精神状態が不安定になり、Mメンタルクリニックへ通院を始める。

2012年1月
異動した営業所と近県の営業所のいくつかが本社に隣接する本部へ統合されるため、再度引越し&転勤。
人員削減の上、事前準備やシミュレーションのない机上の空論で纏められた統合の混乱で、今までに経験のない激務が続き、3月頭通勤電車の中で涙が止まらなくなり出社出来なくなる。
抑うつ状態』との診断で4月から休職。

2012年4月
ここまでずっと2011年7月からのクリニックに通院していたが、電車を乗り継いで行くのが大変なので居住地近くのYメンタルクリニックに転院。
こちらで出された診断は『適応障害』。

2012年8月
Yメンタルクリニックの先生とそりが合わないと感じ、元のMメンタルクリニックに再転院。

2013年3月~6月
母が入院(今は完治しております)。親戚と実家との揉め事(おかしな親戚に絡まれた感じ)が私にも飛び火し、そろそろ復職しようかと思っていた気持ちを粉々に打ち砕かれる。

2013年6月
元旦那と出会う。

2013年9月
Hメンタルクリニックへ転院。
(先生に、これなら2週間で治るよと言われるも、この後1年で治るどころか悪化の一途を辿る)
休職期間満了。

2013年12月
元旦那と結婚。

2014年2月
派遣の仕事が決まるも、2週間でドロップアウト

2014年5月ごろ
バイトが決まるも、やはり2ヶ月ほどでドロップアウト

2014年6月
元旦那と些細な喧嘩が発端になり、アパートの二階から飛び降りる。(肋骨骨折・脚捻挫 全治2週間)
このあたりから8月頃まで希死念慮がMAX。
8月下旬に縁あって乳飲み子の子猫を譲り受け『子猫を育てなくては』という思いからなんとか生き延びる。

2014年9月末
元旦那から、転院してから1年経つのに良くなるどころか悪くなってる気がすると言われ、直前に通院したときに先生が言った「あんまりピアス開けると運命変わっちゃうからね」という言葉(2013年6月ごろからピアッサーで自ら耳にピアスを開け始め、多い時は23~25個位のピアス穴が開いてました。これはリストカット等をしなかった私なりの自傷行為だったと思います。ちなみに薬を飲む前までは、ピアスなんて怖くて…という感じでした。)に不信感を持っていたので、一気断薬に踏み切る。


※この時勉強不足だったのと、0か100かという私の性格上、薬をやめるのに『減薬』という方法があることを全く知らず、頭にも全くありませんでした。元旦那は調べたようですが、やはり私の性格を考えて一気断薬が良いと判断したのだと思います。
断薬を検討されている方はまず色々と調べてから、出来るなら信頼できる医師の指導の元での減薬や断薬をお勧めします。
ネットで 断薬 を検索すると、一気に断薬すると後遺症が残る(離脱症状が完全に抜ける人もいるが後遺症が残りやすい) という文章を何度も何度も見掛けて、一気断薬した事を少し後悔しています。今更なのですがね。


2014年10月
とにかく酷い地獄のような離脱症状。起き上がるのもやっとな状態。

2014年11月
断薬してから初めてバスや電車に乗って出掛ける事ができた。

2014年12月後半~2015年2月前半
元旦那とのいさかいから、感情に蓋をして昼間もずっと希死念慮を抱きながらベッドで横になっている状態になる。
生活が崩壊する。

2014年2月上旬
実家に電話をして迎えにきてもらう。

2014年7月
離婚

2014年10月
実家にて静養


時系列でまとめるとこんな感じになります。
離脱症状や、それを軽くするために私が実践してきた事、今現在実践している事については別に書いていきたいと思います。

結婚してから実家に連れ帰ってもらったあとまでの症状は元旦那の存在 (医療機関で診断されたわけではないですし一緒に居た時点で気付いたわけでもない、まして素人判断なので確実にそうとは言い切れないしそうではない部分もありましたが、最近少しずつものを考えられるようになって色々な資料と照らし合わせてみた結果、『反社会性パーソナリティー障害』や『自己愛性パーソナリティー障害』に限りなく近い性格でした。)が大きく関わっているので、そちらについてもまた別に書きたいと思っています。

一気断薬から約1年(はじめまして)

はじめまして。アラフォーの女性です。

PMSと仕事上のストレスによる不調でメンタルクリニックにお世話になり、 投薬治療で元疾患はもとよりそれ以外の体調や精神状態なども悪化したと感じ、2014年10月1日より一気に完全断薬しました。
断薬してなんとか1年になりましたので、記録としてブログを始めてみました。
処方された薬と個人輸入サイトを通じて取り寄せた薬の服用期間は約6年半でした。(最初の3年半はソラナックスのみ、その後3年はソラナックス抗うつ薬抗不安薬睡眠薬もプラス。)


余談ですが…
抗うつ薬なども服用し始めてからの3年間で体重が30kg弱増え、断薬してから1年の現時点まででピーク時より10kg弱ほど落ちました。まだ二年半前の服が全く着られません…

それはさておき。


処方された薬は、

リフレックス(Nassa)
ロヒプノールベンゾジアゼピン系)
サイレースベンゾジアゼピン系)
ハルシオンベンゾジアゼピン系)
ドグマチール
デプロメールSSRI
レンドルミンベンゾジアゼピン系)
グッドミン
サイレースベンゾジアゼピン系)
サインバルタSNRI
ジェイゾロフトSSRI
ソラナックスベンゾジアゼピン系)
デジレル
マイスリー
レキソタンベンゾジアゼピン系)
セパゾンベンゾジアゼピン系)
トリプタノール(三環系)
エチラーム(ベンゾジアゼピン系)
バスパー
(処方順不同)

エチラームとバスパーは個人輸入サイトを通じて取り寄せたもの。
他は手元にある資料と、資料のないものは思い出せる限りで恐らくこのくらいです。病院に搬送されない程度のODもしていました。
※1度にこれだけ服用していたわけではなく、3年間通院した中で出されたものです。



断薬から1年経った今現在の離脱症状は、

◎耳鳴り
・軽いシャンビリ
◎首や背中のこり固まり
◎直毛だった髪の後頭部だけ癖毛
アカシジア
・めまい
◎ふらつき
◎免疫力の低下
◎頭痛
・異常な発汗
・軽い失語
・胃の不快感
◎脳機能障害(健忘。記憶力・集中力・判断力・文を組み立てる力・語彙力・処理能力・計算能力、これら全て低下)
・頭?脳みそ?がぐるぐるふわふわした感覚
・不安(人が怖い・人を疑う一の事を穿ってみてしまう。≒自分に自信が無く、人の目が怖い)
・不安(この先に対する不安)
睡眠障害(眠れる日が続いても突然眠れない日がある)
・ぐるぐる思考
◎感受性の鈍麻

◎の症状はほぼ常に、・の症状は体調や天候や気圧の影響などで出てくるときがあります。
(ぐるぐる思考と感受性の鈍麻に関しては恐らく離脱症状とはまた違ったところからきているものだと思われます。その話はまた後ほど。)


幸いな事に私はそんなに多くの薬を一度に処方されていたわけではないのですが、やはりというかベンゾジアゼピン系(本来短期間の処方でないと常用離脱が出る薬剤)の処方が多く、また長期間に渡って処方されてきたので、なかなか離脱症状が抜けきらないのだと思います。
そうでなくても一気断薬は離脱症状が長引く、ということを断薬してしばらく経ってから知ったのですが、諸症状がマイルドになっているとはいえまさかまだ続くとは…という感じです。

2015年10月の今現在ですが、上記に並べた脳機能障害で自信を失っているので実家で静養させてもらっています。
元疾患は寛解とまではいかなくても環境が変わったので良い方向に進んでいると思いたいです。


始めてのブログ、文章を考えるのと文章構成力が低下しているので読みづらい点が多々あるとは思いますが、どうぞお付き合いください。