うつと断薬の記録

うつと断薬、時々、APD/NPD被害者としての記録。

服薬開始から現在までの大まかな流れ

2007年10月
転職してそれまでの立ち仕事から完全事務職になる。

2008年
PMSの悪化で心療内科に駆け込み頓服でソラナックスを処方してもらう。(ここから2011年までずっと)

2011年6月
それまでの営業所と隣県の営業所が統合になるため隣県へ引越し&転勤。
7月頃から体調や精神状態が不安定になり、Mメンタルクリニックへ通院を始める。

2012年1月
異動した営業所と近県の営業所のいくつかが本社に隣接する本部へ統合されるため、再度引越し&転勤。
人員削減の上、事前準備やシミュレーションのない机上の空論で纏められた統合の混乱で、今までに経験のない激務が続き、3月頭通勤電車の中で涙が止まらなくなり出社出来なくなる。
抑うつ状態』との診断で4月から休職。

2012年4月
ここまでずっと2011年7月からのクリニックに通院していたが、電車を乗り継いで行くのが大変なので居住地近くのYメンタルクリニックに転院。
こちらで出された診断は『適応障害』。

2012年8月
Yメンタルクリニックの先生とそりが合わないと感じ、元のMメンタルクリニックに再転院。

2013年3月~6月
母が入院(今は完治しております)。親戚と実家との揉め事(おかしな親戚に絡まれた感じ)が私にも飛び火し、そろそろ復職しようかと思っていた気持ちを粉々に打ち砕かれる。

2013年6月
元旦那と出会う。

2013年9月
Hメンタルクリニックへ転院。
(先生に、これなら2週間で治るよと言われるも、この後1年で治るどころか悪化の一途を辿る)
休職期間満了。

2013年12月
元旦那と結婚。

2014年2月
派遣の仕事が決まるも、2週間でドロップアウト

2014年5月ごろ
バイトが決まるも、やはり2ヶ月ほどでドロップアウト

2014年6月
元旦那と些細な喧嘩が発端になり、アパートの二階から飛び降りる。(肋骨骨折・脚捻挫 全治2週間)
このあたりから8月頃まで希死念慮がMAX。
8月下旬に縁あって乳飲み子の子猫を譲り受け『子猫を育てなくては』という思いからなんとか生き延びる。

2014年9月末
元旦那から、転院してから1年経つのに良くなるどころか悪くなってる気がすると言われ、直前に通院したときに先生が言った「あんまりピアス開けると運命変わっちゃうからね」という言葉(2013年6月ごろからピアッサーで自ら耳にピアスを開け始め、多い時は23~25個位のピアス穴が開いてました。これはリストカット等をしなかった私なりの自傷行為だったと思います。ちなみに薬を飲む前までは、ピアスなんて怖くて…という感じでした。)に不信感を持っていたので、一気断薬に踏み切る。


※この時勉強不足だったのと、0か100かという私の性格上、薬をやめるのに『減薬』という方法があることを全く知らず、頭にも全くありませんでした。元旦那は調べたようですが、やはり私の性格を考えて一気断薬が良いと判断したのだと思います。
断薬を検討されている方はまず色々と調べてから、出来るなら信頼できる医師の指導の元での減薬や断薬をお勧めします。
ネットで 断薬 を検索すると、一気に断薬すると後遺症が残る(離脱症状が完全に抜ける人もいるが後遺症が残りやすい) という文章を何度も何度も見掛けて、一気断薬した事を少し後悔しています。今更なのですがね。


2014年10月
とにかく酷い地獄のような離脱症状。起き上がるのもやっとな状態。

2014年11月
断薬してから初めてバスや電車に乗って出掛ける事ができた。

2014年12月後半~2015年2月前半
元旦那とのいさかいから、感情に蓋をして昼間もずっと希死念慮を抱きながらベッドで横になっている状態になる。
生活が崩壊する。

2014年2月上旬
実家に電話をして迎えにきてもらう。

2014年7月
離婚

2014年10月
実家にて静養


時系列でまとめるとこんな感じになります。
離脱症状や、それを軽くするために私が実践してきた事、今現在実践している事については別に書いていきたいと思います。

結婚してから実家に連れ帰ってもらったあとまでの症状は元旦那の存在 (医療機関で診断されたわけではないですし一緒に居た時点で気付いたわけでもない、まして素人判断なので確実にそうとは言い切れないしそうではない部分もありましたが、最近少しずつものを考えられるようになって色々な資料と照らし合わせてみた結果、『反社会性パーソナリティー障害』や『自己愛性パーソナリティー障害』に限りなく近い性格でした。)が大きく関わっているので、そちらについてもまた別に書きたいと思っています。