うつと断薬の記録

うつと断薬、時々、APD/NPD被害者としての記録。

断薬に至った経緯と断薬に対して思うこと

私が断薬したきっかけですが、前の記事にも書いたように「転院して良くなるどころか悪くなってる気がする」という元旦那の言葉と、当時ストレスが溜まる度にピアッサーで開けていた耳のピアスを見た担当医の「できればピアスは全部で3つくらいまでにできればいいですね。あまりピアス開けると運命変わっちゃうし。」という言葉でした。

転院して「2週間で治ります。長くても2ヶ月。」と断言したにも関わらず1年の間に何度も処方を変えられ減薬すらされなかったことや、周囲から見て明らかに太ったのに実際にどれだけ増えたか言うまで気付いてもらえなかったこと(月一回の通院だったので見れば分かる)、また、転院する前まではPMS期にほんのりとしかなかった希死念慮PMS期以外にも強くなったり(前記事にも書きましたが二階から飛び降りました)、常に鬱々とした気分を抱えていたりイライラしたり焦燥感に駆られたりといった様々な不調も処方を変えることでやり過ごされたりして不信感を募させていた私には、その言葉はかなり決定的なものでした。
医者なのにそんなスピリチュアルな事を…???と、ほんの少し残っていた信頼感までも全くなくなったのです。

断薬すると決心してすぐ、私はネットで『断薬 離脱症状』というワードで検索をしました。
すると、ヒットした資料には気が遠くなるほどの離脱症状の数々が。
薬が切り替わる時の離脱症状は経験していたのですが、実際自分が体験したことの無いものが沢山書かれていて少し怖くなり、それ以上調べる事は出来なくなりました。
しかし、このまま一生飲み続けたくはないし(飲み続けても常用離脱があるということはだいぶ後になって知りました)、とにかく薬をやめたい、もう飲みたくない、薬には頼らないと決めていたし、元旦那も全力でサポートすると言ってくれていたので、離脱症状やそれを緩和するような資料のURLを元旦那と離れて暮らす両親に送り、サポートしてもらう事にしました。
こういったいきさつもあり、減薬ではなく一気断薬に至りました。
お薬手帳も残っている薬も全て断薬当日に捨ててしまったので正確には覚えていないのですが、最終的に飲んでいたのは頓服を合わせて6~8種類ほどを各1~3錠くらいだったと思います。
(転院前の調剤明細書を確認したら6種類だったので多分そのくらい。)

それから断薬してからしばらくはネットで減薬・断薬関係のブログや文献を検索する事が出来ませんでした。
飲んでいた薬を絶ったことによってどういった症状が襲ってくるのかというのを再度確認するのが怖かったからです。逆に、そこで確認しなかったから耐えられた、ということもあると思います。
どれだけ酷い症状があらわれても、薬が抜けていけば必ずおさまる、という気持ちでただひたすら耐えていた記憶があります。

どんな離脱症状があったかは次回記事にします。
記録をほとんど残していないので思い出しながらになりますが…。
(ここ一年半ほどの記憶がかなり曖昧なのと、断薬してから半年くらいは今思い出すと夢の中の出来事のような感覚なので、思うように綴れないかもしれませんが…)



ここまで書いてきて少し心配だなと思った事があったので補足しておきますが、『薬は悪だ』といっているわけでも『薬で治る』ということを否定しているわけではなく、『元疾患がまだ治っていないなら、私は薬を飲まないという方向で治していこう』ということであって、生きていく上で飲みたくないと思っていてもそれでも薬を必要としなければいけない方がいらっしゃる、という事は私の友人知人にもおりますので理解しています。

減薬や断薬をしたいと思っても、信頼できる医師の指導の元であれば、服用期間や量などの個人差はあるでしょうが、私が経験した(今現在も経験している)までの酷い離脱症状に苦しむ事も少ないのではないかと思います。
勝手に断薬、しかも一気に断薬ですと、1ヶ月くらいは酷ければ寝たきりになってしまうような状態なので、常に一緒に居てくれて生活の面倒をみてくれるような周りのサポートがない限りはかなり難しいのではないかと思います。
離脱症状をどうにか軽くしたくて断薬専門医も探しましたが、料金がかなりの高額だったため諦めました。


私自身の思いとしては、減薬や断薬を勧めるわけではなく、どうにかしたい と思った時に助言ができれば、という気持ちが根底にあります。